第一話「崩壊都市、黒い空」
2088年3月、東京──。
空が崩れたのは、大学の昼休みだった。
講義棟の窓から見える東京タワーが、まるで滝のように黒く染まっていく。
天から降り注いだ“なにか”は、煙でも雨でもなく、もっと圧倒的で、理解を拒む気配だった。世界が、音もなく切り替わった。
「……っ、なに……これ……!?」
悲鳴、叫び、怒号。
教室の窓が砕け、誰かが駆け出し、誰かが倒れる。
源太陽は呆然と立ち尽くしていた。耳が詰まり、鼓動だけがやけにうるさい。
隣の席にいた彼女──古賀美咲が、苦しそうに首をかきむしっていた。
「……たす、けて……たすけ──」
彼女の皮膚が灰色に染まり、瞳が深紅に燃える。背中から異形の触手のようなものが生え、机を砕いた。
「──美咲……?」
太陽の声は、もう届かなかった。
異形は咆哮し、教室にいた他の生徒に飛びかかった。何人かは悲鳴を上げる間もなく引き裂かれ、何人かは同じように変異していく。
狂気が教室を満たす。太陽は理解した。
これが“アビス”だ。
「逃げろ!こっちに来るな!」
叫びながら教室を飛び出す。廊下、階段、崩れかけたガラス張りのエントランス。瓦礫が積もり、外の景色は黒い霧に覆われていた。
太陽の足は震えていた。呼吸が荒くなる。頭が割れそうだ。
“ここにいたら、死ぬ。”
だが、数秒ののち、誰かの気配に気づいて振り返る。
そこにいたのは、モンスターと化した美咲。
──いや、まだ完全に失われてはいない。
どこか悲しげに見える表情、覚えのある動き。何かを訴えるように、太陽に手を伸ばしていた。
「美咲……!」
涙が溢れる。逃げられない。戦えない。
能力もない。自分は“適応者”ではない。
「──クソッ、クソッ……なんで……俺だけ……!」
両手を広げて、ただ祈るように叫ぶ。
「まだ、まだ俺は──
美咲と、一緒にどこにも行ってない……!
伝えても、いない……!
──こんな終わり、あるかよ!」
咄嗟に腕をかざす――結界が展開される。
空間が波打ち、淡く透明な膜が彼を包む。
どこかで聞いた、“誰にでも使える唯一の防衛術”。
──「結界は、守りたいという意志に比例して強くなる」
モンスター化した美咲の攻撃が、結界に叩きつけられて火花を散らした。
だが、彼女はそれ以上攻撃を続けなかった。
紅い瞳の奥に、かすかな記憶の残滓が揺れていた。
──そして、去っていく。
太陽はその場に崩れ落ち、瓦礫の冷たさの中で震えていた。
誰も助けに来ない。仲間も、家族も、もういない。
だが、まだ死ねない。
(美咲は……もう、戻らないかもしれない。だけど……)
(俺は……絶対に、何かを守れるようになってやる)
黒い空の下、崩壊した東京で、少年はただひとり立ち上がった。
【投稿者】ますた

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